日本政府は2025年7月23日にいわゆる「トランプ関税」をめぐる日米協議が合意に達したと表明しました。FFPJは、この協議結果に含まれる農産物関連の合意内容が下記に記すように、日本の農業・農村にとって重大な問題を引き起こしかねないと判断し、その取り消しに向けた再交渉と合意措置による悪影響を解消する施策の早急な確立と実施を求めます。
1.合意文書の不在と日米両政府の認識に齟齬があること。
何よりも、今回の日米間合意は、公式に確定され、相互に遵守義務のある「合意」とは認めにくい。実際、日米両政府の見解には大きな齟齬がいくつかありますが、合意文書がないために検証できません。このことは後に禍根を残すことになると判断されます。
特に、合意内容の柱となる対米投資計画では投資の実行主体とその方法、投資利益の配分について、両国政府の説明に大きな食い違いが認められます。もうひとつの柱である関税についても、日本政府が合意したとする医薬品及び半導体に対する最恵国待遇もアメリカのホワイトハウス・ファクトシート及び官報には記載されていません。8月7日に明らかになった相互関税15%の調整方法(賦課方法)のずれについては、赤沢亮正経済財政・再生相が2025年8月5日に急遽訪米し(なんと9回目)、アメリカ政府に対して合意の再確認を求めた結果、大統領令を「適時に修正」することになったと報道されましたが、その実施時期については不明で、アメリカ任せになっています。
2.過去のアメリカによる2度の日米貿易交渉合意の約束違反に学んでいないこと。
日本は最近10年の間に、日米貿易交渉の合意がアメリカによって一方的に破られることを2度も経験しました。一度目は2015年に妥結したTPP合意で、アメリカは2017年にTPPの枠組みから一方的に離脱しました。2回目は2020年に発効した日米貿易協定で、この合意は2025年の「トランプ関税」の発動によって反故にされてしまいました。
今回の関税措置は、日米貿易赤字の大幅削減がアメリカ政府の主な目的です。実際、ベッセント財務長官は上記の最終合意後の8月7日に、日本経済新聞とのインタビューにおいて「貿易赤字が是正されれば相互関税は氷解する」(Nikkei Asia, August 11)と述べました。トランプ大統領も、ホワイトハウスのFACT SHEETS(2025年7月23日)で今回の日米合意が対日貿易赤字の縮小と日米間の貿易バランスの均衡化につながると強調しています。この文書内には「アメリカが力でもってリードすれば、世界はついてくる」との「力の交渉」を自己称揚する表現もあります。このことは、過去10年間に生じた2回の日米合意の約束違反と同様に、「最終合意」が反故にされる可能性を示唆しています。
今回の「最終合意」も、アメリカ側(つまりトランプ大統領)が貿易赤字の改善状況をチェックし、不十分な場合にはその是正を口実に、関税の上乗せなど報復措置を取り得るという前提の下にあると理解すべきでしょう。今回の日米合意は、こうした一方的な約束違反の危険性を孕んでいますが、政府は全く言及していません。
3.米国産米の輸入を75%増やすという市場アクセスの変更が日本の稲作と食料安全保障政策に大きな負の影響を与えること。
FACT SHEETSによれば、アメリカ産の米の輸入量を現行の2倍近い75%も増やし、しかも「直ちに」(immediately)実行することとされました。しかし、政府の国内向け説明では「MA米制度の枠内で、日本国内のコメの需給状況等も勘案しつつ、必要なコメの調達を確保」とされており、アメリカ政府の理解とは大きな距離があります。日本政府が輸入量の見通しも輸入時期も明言していないことは欺瞞としか言えないのではないでしょうか。
そもそも自動車関税を初めとする工業製品の対米輸出の確保と引き換えに農産物市場を開放するという枠組みは、1980年代の日米農産物交渉以来繰り返し行われてきたもので、その都度日本の農と食に大きなダメージを与えてきました。こうした歴史の総括もせずに、またもや同様の枠組みを農と食の主柱である米にまで適用することは到底納得できるものではありません。
政府は、2025年8月5日開催の「米の安定供給等実現関係閣僚会議」に「今般の米の価格高騰の要因と対応の検証等について」を提出し、米の増産に舵を切ることを表明しました。そういう状況の中で、米国産米の輸入を「直ちに」75%増やすとの合意は、日本の水稲作農家に不安と動揺を与え、増産に舵を切ることにした稲作政策にも不要な攪乱要因を持ち込みます。何より、農家の稲作離れを加速する恐れがあります。
加えて、この件についての農家に対する事前説明が全く行われず、農業関係者は不信感を増大させています。きちんとした説明が速やかに行われるとともに、当事者不在の交渉結果であるアメリカ産米の即時輸入上乗せを撤回することを求めます。
4.アメリカ産米の優遇が及ぼす他の米輸入国への影響が考慮されていないこと。
アメリカ産米の輸入上乗せは、これまでMA米の枠内で輸入してきた国々や、CPTPPの下で輸入枠を持っているオーストラリアとの衡平を欠く措置であることは明白です。したがって、今後これらの国々から同等の扱いを求める圧力が増すものと推測されます。その結果、輸入米の増加へと道を開くことになりはしないでしょうか。結果として、米価の大幅下落とそれによる農家の稲作からの撤退が促進されかねません。「令和の米騒動」が示したように、米はなお日本人の食生活にとって非常に重要な地位にあり、しかも国産へのこだわりが強いと言えます。今回の農産物合意は国民の食に対する期待を裏切るものでもあります。
5.アメリカの稲作は不安定であり、しかも環境への悪影響が大きいこと。
アメリカの稲作は基本的に乾燥地域で行われています。最大の産地であるアーカンソー州では長粒種が主に生産されるのに対し、日本人に人気がある中流種の「カルローズ」は水事情の厳しいカリフォルニア州で生産されています。カリフォルニア州の生産能力は160万トン~190万トンですが、必ずしも安定しているわけではありません。2022年には水不足のために、大幅な生産量減を記録しました。安定性という食料安全保障の観点から、「カルローズ」の輸入は問題をはらんでいます。
またカリフォルニア州では、大量に水を使う稲作は批判の対象で、水をめぐる争いの火種になる危険性が高いと言えます。何よりも、カリフォルニア州の重要な水源であるオガララ帯水層は年々水位が低下しています。その補給には極めて長い年月を要するので、基本的には使用すれば消滅する非更新資源と見なすべきです。そういう地域で生産される米の輸入は、環境の悪化に手を貸すことになります。
6.トウモロコシや大豆、ジャガイモのアメリカからの輸入増大が国産比率を高くするという食料・農業・農村基本計画の目標実現を阻む恐れが大きいこと。
2025年の概算要求予算では、飼料作物の国産比率を高める事業(飼料生産基盤に立脚した酪農・肉用牛産地支援)が盛り込まれました。この中には、有機飼料作物の生産も含まれています。大豆も国産比率の上昇が食料・農業・農村基本計画において重要な柱に位置づけられました。ジャガイモは北海道畑作地帯の基幹作物です。せっかく、食料・農業・農村基本計画においてこれらの作物の国産化や国産比率の上昇を位置づけたのに、今回の農産物合意はこうした政策方向と矛盾しており、整合性がとれません。その結果、この合意が農家の意欲を削いでしまい、日本農業の再生機運を阻むことになります。
なお、トウモロコシは飼料作物としてではなく、エタノール用として位置づけるとすれば、再生可能エネルギーの原料を海外に依存し、環境フットプリントを増やすことになるという矛盾が生じます。ただでさえエネルギー自給率は低いので、エタノール用に輸入するのであれば、むしろ国産エタノール生産を促進する方が環境保全に大きく役立ちます。