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【報告】FFPJ連続講座第22回:食料・農業・農村基本法の総括と新基本法への視座

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FFPJオンライン連続講座第22回が、「食料・農業・農村基本法の総括と新基本法への視座」と題して、2月17日(金)に開催されました。講師は、FFPJ常務理事で近畿大学名誉教授の池上甲一さんです。以下は池上さんの講義の概要になります。資料はこちら。関連年表はこちら。文末まで行くと講義の動画を見ることができます。

 

皆さん、こんばんは。ただいまご紹介いただきました近畿大学名誉教授でこのFFPJの常務理事をしております池上でございます。今日はどうぞよろしくお願いいたします。今日はですね、ちょっと私の生い立ちも含めて、若干、昔話にお付き合いをいただきたいと思います。それに、参考文献などは昔の論文の虫干しも兼ねております。

それでは始めます。今日もかなりたくさんのスライドを用意しましたので、適宜省略して説明をしていきます。それから、FFPJのウェブに、おまけということで、総合農政までの農政年表も用意しております。あとでご参照いただければと思います。

この背景の写真は、滋賀県の甲良町という琵琶湖の東側にある町で撮った写真です。画面左側がちょうど麦の収穫期に向かっているところで、右側には田植えが終わったばかりの田んぼが写っています。麦秋と田植えが併存している時期ということでご紹介しました。

*今日の話題

今日の話題はここに書いてあるような形になりますが、焦点は何と言いましても、四番目と五番目ですね。現在、食料・農業・農村基本法の検証という名前の見直しが行われています。それに対して、実際に農業をやっていたり、暮らしていたりする側から見た基本法というのは、こういう観点から議論するべきである、こういう観点を含めるべきであるという点を中心にお話をしたいと思っております。

*自己紹介:生い立ち 貧しくも豊かな暮らし

そこへ行くまでにやや年表的に1950年代、第二次世界大戦終了後からの大きな日本農業の変化を、私の子ども時代の経験を通して紹介します。というのは、奇しくも私の生い立ちが、ちょうど農業の変わり目の時期と重なり合っているからです。それで、少しだけ自己紹介も兼ねて、話を進めていきます。後ほど、1950年代にもう一度、注目する必要があるんじゃないかと言うことを申し上げますけれども、それは経済的には必ずしも豊かでなかった、貧しかったけれども、暮らしの質というのは豊かだったと私は感じています。ということで、ここに幾つか、思い出したことを記させていただきました。

私は1952年の1月に長野県の農家の没落本家に生まれました。GHQが撤退したと言いますか、平和条約が発効して一応、主権が回復できたのが1952年の4月です。だからギリギリGHQの占領下にいたということになるのかもしれません。私の家はですね、典型的な小規模有畜複合経営で、水稲、養蚕、蔬菜、牛からなっていました。牛は、後で乳牛に変わりました。それから鶏ですね。こういう動きは、有畜農家を創設するという、当時の農林省の方策に沿ったものでした。

小学校の入学式には、自転車の荷台に乗せられて行きました。小学5年生の頃までは牛車を利用して、山へはざ木を採りに行ったり、焚き木や焚き付け用の芝なんかを採りに行ったりしておりました。それが6年生頃になると、テーラー型の耕運機が入りまして、それに伴って、それまで運搬に使っていたり、堆肥を取ったりしていた牛が乳牛に変わります。この頃、子供も重要な働き手でして、田押し車を使う田んぼの除草とかですね、サイロを詰めたり、子牛に乳をやったりする。この時には、私たちが学校で飲んでいる脱脂粉乳を牛にエサとしてあげるという何とも言えない体験もしております。

それから、水田養魚もこの頃に導入されました。しかし、圃場の形がきちんとしていないので、大半は水路に逃げ出してしまいます。それは子供の格好の遊びの材料になったり、おかず取りになったりもしました。

それが、東京オリンピック頃からですかね、その頃から近代化に向けた動きが急速に進んでいきます。それまでは、家の中で牛とも同居していたんですけれども、それが家の外に専用の畜舎を作ったり、養蚕も養蚕用のハウスを建てたりというふうに変わっていきます。お風呂もそれまで移動式の桶だったものが、固定した風呂場に変わりました。まさに生活改善の実践の舞台に立っていたと言えるかもしれませんね。

食事を見てみると、参加されている方の中にはカルシウムを入れたご飯とか、押し麦が混ざっているご飯とかを食べたという記憶をお持ちの方もおられるだろうと思いますが、生活改善運動の中で出てきたこういう栄養素主義的な食生活というものと、昔から伝わってきた食ですね、例えば大根葉を乾燥させて冬の食材にするとか、芋がらを乾燥させてみそ汁の具にするとか、何もなくなったらスイトンにするとかいうような食生活になっていた時代だったかと思います。

忘れられないのは、構造改善事業の開始によって、私の村でも1960年代に入る頃から圃場整備事業が始まり、その結果、村にお金が落ちるようになったことです。わが家でも、父親が(時には母親も)土木事業に働きに行ったので、年1回の米代金と年4回の繭の代金と、それから生乳は協同乳業に出荷していたので、その売り上げは毎月農協の口座に振り込まれるわけですが、それに給料という形の現金が直接財布に入るという形になります。これに伴って、現物経済が中心だった暮らしから現金経済、あるいは盆と暮れに払うというツケの経済だったものが現金払い経済に変わるという、非常に大きな転換を経験いたしました。静岡から来るお茶の行商人にはお米と引き換えに茶葉を買っていたのに、これも現金払いになりました。

さらに高校に入ると、トラックを購入したんですけれども、これはエンストすると、梵年の前部に空いている穴にトランク状の回し棒を入れて、手回しで始動させるという代物でした。大学に入学したときには、村の人が開通間もない名神高速をトラックで走り、京都まで運んでくれました。下宿したところは、銀閣寺の近くの屋根裏部屋でした。三畳の平間と二畳くらいの天井が斜めになったスペースが付いているところで暮らしていました。トイレも洗面も大家さんと共同です。この部屋に同級生二人が万博見物にやってきました。まさに、高度経済成長が真っ盛りの時期ですね。乾燥の大根葉を食べていた時代から、万博でアポロ号が運んできた月の石を見るという、非常に大きな落差を経験したわけです。

*食料・農業・農業基本法見直しの背景

ということで本題に入ります。今、進んでいる基本法の見直しは、皆さんがたもよくご承知のように、新型コロナウイルスの感染拡大から始まって、ロシアのウクライナ侵攻や大幅かつ急激な円安が、宇田さんからも説明があった食料品価格や資材価格を高騰させ、そのために農業経営が非常に苦境に陥ったことが背景にあります。こういう中で、第5次基本計画の策定が終わったばかりだけれども、農業・食料をとりまく環境が非常に大きく変わったので見直しをしなければいけないということになりました。

*食品価格と農業資材価格の高騰雑感

食品価格と農業資材価格の高騰を、歴史の中で見直してみると、どういうことが言えるでしょうか。ひとつの例として、戦中から戦後にかけての農業資材や食料の統制をあげることができるでしょう。統制は、食料と資材の不足による価格高騰を抑え、均等に配分することを狙っていました。こうしたことが現に行われてきたことも、きちんと頭に入れておく必要があるかなと思っています。その頃の年表を見てみますと、例えば食糧増産対策として、公園・運動場も畑にするとか、イモ類を重視してカロリーを供給するんだということが行われています。これはあとでまた説明しますが、緊急時の食料安全保障という形で準備されたガイドライン(指針)の先取りだったと言えるかもしれません。学徒奉仕団がドングリ採集をしたというような記述も出て参ります。これはドングリを食べたんですかね、ちょっと良く分かりませんけれども、あるいは撒いて薪炭用にしたのかもしれませんが、そういうことまで行われたようです。それから、現在も米の検査業務は行われていますが、これも実は戦時の遺物です。

 

1.現行基本法までの戦後農政の流れを振り返る

それでは駆け足で、現行基本法までの戦後農政の流れを振り返っておきたいと思います。

*第二次世界大戦後農政の時期区分

私は大きく言って、4つの時期に区分することができると考えています。1つは戦後の農地改革から農業基本法の制定、大体1950年代を中心にした時期ですね。これは戦後の民主化と地主・小作関係が解消されたということが一番大きなトピックになるかと思います。そのあと1961年にできた農業基本法の下で行われた農業政策ですね。3つ目が1986年のガット・ウルグアイラウンド交渉が始まったことをきっかけとして始まった国際化農政ですね。最後が、1999年に制定された現在の食料・農業・農村基本法以降の動きということになります。

*戦後復興期の農業政策

戦後復興期については色々な動きがあったけれども、ここで申し上げておきたいのは、土地改良区と農協についてです。この2つの組織は新しい容れ物、つまり土地改良区や農協という新しい組織形態になったわけですが、それは村を基盤とする古い革袋の上に形作られました。このことが、現在の農協や土地改良区の持っているやや古い体質と連動していると言っていいかなと思います。

*1950年代の農業・農村

1950年代の農業、農村についてはもう一度、研究の面からみても、注目し直す必要があるかなというふうに思っております。これは多辺田正弘さんが最初に書かれていたことなんですけれども、1950年代というのは、小農家族農家の家族農業、小規模な農業をベースにした有畜複合経営による自律的発展というものを目指した時期だというふうに考えてもいいんじゃないかと思っております。その観点からもっと注目してもいいのではないかというふうに思っております。

1950年代の農業というのは、本当に色々なことをやっていました。田んぼの畔でさえ、豆を育てるというように、土地を使いきっていました。家畜も色々なものを飼っていました。種ももちろん自家採種が中心でした。そういう「小さい農業」による生活体としての再生産を確保するということが目指されていた。こういう点を現代風に評価すれば、食料主権の追求だったと言っていいかもしれません。農政の側からも、例えば有畜複合経営を創設しようという動きがありました。ただ農政には、一方で集約的な酪農を進めようという動きも始まってきました。あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、試行錯誤的な動きがあったわけです。

*農業基本法に至る経緯

1950年代は、西ヨーロッパ諸国で基本法を制定しようという動きが出て参ります。農林省職員も西ヨーロッパに派遣されています。そこで勉強をしてきて、日本でも農業基本法を作る必要があるという動きになっていきます。基本法策定の動きが出てきた背景には、何と言っても高度経済成長があって、工業部門に労働力と資源を供給しなければいけないということと、工業製品の国内市場を形成するんだという非常に大きな2つの時代的要請がありました。

これに対して農政は日本生産性本部の下に農林水産業生産性向上会議を設けます。そこで、農工間の生産性格差と所得の不均衡が問題だと指摘されます。つまり、都市の勤労世帯の所得と農家の所得の不均衡が問題だと理解されたわけです。それで、農林漁業基本問題調査会を作りました。この調査会で2年ぐらい議論して、答申を出します。それは、経済性の貫徹を強調しました。国会で法案を決議するときに、財政的な裏付けと価格支持の2点が付帯決議として追加されたことも申し添えておきます。

*基本法農政の政策枠組み

農業基本法に基づく農政のことを基本法農政と言います。それは、基本的には構造政策と呼ばれる構造改善をやって、生産性を上昇させ、そのことで所得を均衡させようとした。構造政策の王道です。構造改善とは、規模を拡大する農家と離農する農家があって、その離農する農家の農地を、規模拡大農家に集め、それを自立経営として育てるんだということですね。これが一つの柱です。

もう一つは、色々なものを作っている、何でも作っている現状を、需要が増えるものを選び、それに生産を集中するように変えていく。選択的拡大と言います。そういう選択的な生産政策によって生産性を上昇させようとしました。これは、財界の要請に応えるものでした。

ところが、この生産性上昇から所得均衡に至る経路が、理論通りには行かなかった。結果として、生産性上昇による所得均衡は実現できなかった。代わりにどういう形で所得均衡が図られたかと言いますと、価格支持なんですね。価格政策です。価格政策は両面がありまして、価格を安定させるという消費政策の面と、所得を向上させるという農家対策の面ですね。2つの狙いの違うものを同時に追求しようとした。ということで、いわゆる食管赤字が生み出されることになりました。これは、米価に依存する形で所得を向上させるということです。ここに、米価上昇が農民の目標になり、農林族の集票マシンが作られることになりました。

*基本農政の帰結

それでは、基本法農政自身はどんな結果を生み出したのでしょうか。自立経営の育成は結局、数%台のままで、むしろ減少してしまった。もう一つの柱の選択的拡大は、その対象になったミカン、酪農、畜産などで、たちまち過剰になって価格が暴落してしまう事態を生み出した。この間の経緯は、例えば山下惣一さんがエッセイで書かれたりしておられます。

生産政策の面では、総生産を増やすことができました。特に米を筆頭に、ミカン、酪農、畜産と、総生産は増えました。これらの作物・部門は過剰になった一方で、それまで作ってきた麦や大豆が「安楽死」させられてしまった。過剰と不足が併存するということになりました。ミカンと牛乳についてはこのグラフのように、1970年代に価格が低水準で横ばいか、低下しました。特にミカンの低下が顕著ですね。

*基本法農政の農林省自身による評価

以上のような帰結について、農林省自身はどんなふうに評価したのでしょうか。1970年代の農業白書では、結局、生産性格差が拡大してしまったと書いています。1972年の白書には、自立経営の戸数が減少しているとの指摘も出てきました。また、選択的拡大の無理によって、食料自給率が低下したこと、それから地力の低下も指摘しています。これはまさに近代化の大きな柱であった化学肥料への依存、農薬の使用が大きな原因だったと言っていいと思います。ここに、近代農業の出発点があったことは忘れるべきではないだろうと思います。

*総合農政の理想と頓挫

総合農政に移ります。この総合農政は、かなり良い意図を含んでいました。1970年代は、世界全体が激動する時期であった。非常に大きな画期を成す時期だったと思います。何よりも、第1次オイルショックなどによって、高度経済成長が終わります。一方で米の過剰在庫が問題になってきます。そこで米の過剰と麦・大豆の不足を修正しようという総合農政が登場して参ります。さらに農村で就業先を確保できるようにと、農村地域工業導入促進法が成立する。こういう形の総合的な政策が意図されました。

この総合農政において、日本の農政史上初めて食料安全保障概念が登場します。農水省は10年ほど前に自給力指数の計算を始めましたが、すでに総合農政において、総合的食糧自給力が提起されました。粗飼料生産とか大豆・トウモロコシの備蓄も政策の方向として提示した。このように、総合農政は、かなり重要な意図を含んでいたと言っていいでしょう。ところが、1975年に米が大豊作になりまして、たちまち頓挫してしまいました。この政策意図についてはもう少し、再評価しておく必要があるかなと思っております。

*転作対応の地域農政

次に地域農政と呼ばれる時期に入ります。このときには、自作農主義から借地農主義へと、現在主流になっている考え方に政策の基調が転換します。残りは時間がないので省略します。また後ほど、目を通してください。

*地域主義の台頭

1970年代は、一方で地域主義という考え方が出てくる時代でもあります。地域主義にも非常に多様な動きがあります。1972年の国連人間環境会議、あるいは同じ年の「成長の限界」というレポート、このあたりから環境の問題が世界全体の共有課題になって参ります。それからタグ・ハマーショルド財団が出した「もう一つの発展」というような考え方や、鶴見和子さんが主張した内発的発展、それから玉野井芳郎さんなんかが中心になって始めた地域主義研究会とかですね、こういう従来の経済性、生産性を追求していくという考え方と違う考え方、要するにもう一つの発展のあり方というのを考えていこうという主張が出てきました。

この頃、学生・院生だった私は、地域主義や内発的発展に大きな影響を受けました。私がテーマに選んだのは、集団的な土地利用の問題、それから有機農業運動とか地域自給運動などのエコロジー的・文化的展開でした。この時期には、吉田寛一先生が唱えた農民的複合経営論もあります。非常に興味深い動きが沸き起こった時期です。この時期の多様な動きももう一度、再評価しておく必要があるだろうと考えております。

*国際化農政への移行

ところが1980年代に入りますと、特にプラザ合意、それから前川レポートをきっかけにして、国際化農政に大きく舵が切られました。これには、世界の経済的思潮がそれまでのケインズ主義的な考え方から新自由主義的な考え方に転換していったことが大きく影響しました。サッチャー政権とかレーガン政権が生まれて、市場メカニズムを重視するという考え方に力を入れるようになって参ります。ただこの頃から、国際化の意味が少し変わります。それまではどちらかというと、ヨーロッパを結構、意識していたのに、アメリカに追随する方向に傾斜していったことも強調しておきたいと思います。

*農産物貿易交渉とガット・ウルグアイラウンド(UR)

この傾向は農産物貿易交渉、特にアメリカとの間の農産物輸入交渉をきっかけにして、典型的に表れてきました。1986年にガットURが始まりました。それは、基本的には農産物輸出国の過剰という構造的な問題を、輸入国の市場開放で解決する戦略だったと総括して問題ないと思っております。このときに世界の中では、市場原理派という新自由主義的な考え方を追求しようというネオリベ派の考えと、これに対して永続的な農業と農村発展というSARD(Sustainable Agriculture and Rural Development)と呼ばれる考え方が力を得てきました。国連の場でも、この2つのせめぎ合いがありました。

*国際化農政の枠組み

国際化農政の中心は、経営基盤強化法です。これは現在も引き続いていますが、経営基盤強化法による構造政策で進めていくという柱が真ん中にあります。それから、この構造政策に対応できないような地域、特に中山間地域、この当時は特定地域と言っておりましたが、この特定地域には国土環境保全という役割の発揮を期待して、特定農山村法の枠組を適用するという柱があります。要するに、地域政策・山村政策と経営政策・産業政策という2本柱で、国際化に対処しようということです。これは木に竹を接ぐような政策だったと言っていいと思います。

*「攻め」にまわった国際化農政

次に攻めにまわった国際化農政です。1994年にUR農業合意を踏まえた関連対策が出されます。これはどちらかというと受け身だったんですね。この中で新しい基本法の制定を目指すことにしました。その中には、WTOの次期交渉に向けた日本の提案を反映させ中ればいけない。そこで出てきたのが「多様な農業の共存」であり、農業のもつ多面的機能の尊重、いわゆる非貿易的関心事項と食料安全保障を、日本の提案の軸にすることになった。そのために、この主張に合う農政改革が進められました。こうした平成の農政改革の総仕上げだとして、食料・農業・農村基本法を作るんだということになりました。

 

2.農業基本法から食料・農業・農村基本法への転換:何が課題となり、何が盛り込まれたのか

*農業基本法に関する研究会での議論

前回の農業基本法と同じように、基本問題調査会が作られますが、その前に農業基本法に関する研究会が作られました。実はこのあいだ、現行の基本法に理論的な影響を与えた私の先生でもあります祖田修先生に昔話を伺ってきました。その内容もこのスライドに少し盛り込んでいます。その95年から96年にかけて持たれた研究会の座長は東大の荏開津典生先生です。

この研究会の報告書には「検討にあたって考慮すべき視点」という形で、8つの論点が盛り込まれました。ただこの研究会の議論では、いろいろな議論があったようです。例えば、この論点には多面的機能が入っていますが、座長の荏開津先生はそんなもの要らんという主張をされたようです。また、多面的機能を法の中に盛り込むかどうかについては、中山間地域直接支払いを導入するという議論になったようです。それから食料安全保障ではなく、食料の安定供給の確保となっています。食料自給率が明記されていない。これは、農水省が食料安全保障、あるいは食料自給率については責任を持てないという主張をしたからのようです。

祖田先生は、従来の経済価値だけを追求する考え方に対して、生態環境価値と生活価値の2つを入れて、この3つの重なる部分を総合的な価値と名付け、それをできるだけ大きくしていくことが望ましいというような考え方を主張した。その結果、食料・農業・農村基本法に、農村という場の問題と、生態環境という環境または多面的機能という側面が盛り込まれたと判断しています。

*基本法問題調査会答申の主要論点

調査会では、安全保障政策として自給率目標を掲げるかどうか、株式会社の農業参入を認めるかどうか、直接支払い制度を導入するかどうか、ということが基本的な論点になりました。

*食料・農業・農村基本法の基本的枠組み

この図が今の基本法の枠組みです。「農業の持続的な発展」が真ん中にあり、これをベースにして食料の安定的供給と、多面的機能の発揮、それから農村の振興を図る。多面的機能は、「農業の持続的発展」があって可能になるんだという認識です。同様に、「農業の持続的発展」があれば農村が振興する。逆にいうと、農村が振興しなければ持続的な発展も食料の安定供給もないというのが、非常に大雑把ですが、基本的な枠組みです。食料や環境が加わったことで、食料・農業・農村基本法の理念は、あくまで国民全体の基本法だと定められました。

*食料・農業・農村基本法の条文

条文の詳細は省略しますが、たとえば第2条では供給の確保を規定し、不足の事態には、供給の確保が図られなければならないとしています。多面的機能の発揮は、農業生産活動が行われることにより生ずる、となっています。「農業の持続的な発展」については、望ましい農業構造が確立されることを条件として挙げています。

あまり注目されませんが、食料・農業・農村基本法が、農業の自然循環機能の維持を盛り込んでいることは強調しておいて良いと思います。また農村の振興は「農業の持続的発展」の基盤ということで、生活環境を含めた福祉の向上を進めることになっています。

基幹的な施策としては、基本計画を作り、それを定期的に見直すことが規定されました。食料の安定供給では、安全性の確保などの施策の充実などが盛り込まれました。「農業の持続的な発展に関する施策」は、施策の条項の数が一番多いんですけれども、ここに書いてあるようなことを書きこんでいます。いつも議論に出てくるのは、「効率的かつ安定的な農業経営」ですが、実はこれ以外にも女性の参画とか高齢農業者とかも書きこまれています。

*食料・農業・農村基本法の意義と欠落点

現行の基本法の欠落点とか課題ということに移りたいと思います。一番の問題は、生産力主義的、市場主義的な担い手像というものが維持されていて、生産政策が中心になっているてんです。多面的機能については、洪水を防止するダムの代わりとか、水田涵養とかいうな目に見えやすい物理的機能が中心になっています。多面的機能の発揮は、地域政策でやっていくということなんですね。この2つの異なる原理が併存していて、どちらに天秤が振れるかによって、基本計画の方向が左右される構図になっています。

それから環境生態系については、環境とか生態系の総合性というものが欠けていた。そもそも、食料・農業・農村基本法の施策条項には、多面的機能は盛り込まれていません。農業生産が前提になっていて、それがどのような農業生産なのかということは問題にされていません。

 

3.食料・農業・農村基本計画の変転:食料・農業・農村基本法との乖離

*第1次基本計画 2000年度~2004年度

第1次の基本計画は、一般論にとどまりましたので、これは省略いたします。

*第2次基本計画 2005年度~2009年度

第2次基本計画では、2005年に閣議決定された「21世紀新農政の推進について~攻めの農政への転換~」が基本方針となりました。担い手の明確化と政策の集中とかですね、株式会社による農地リース方式とかの新自由主義的な内容が盛り込まました。

*第3次基本計画 2010年度~2014年度

民主党政権の下でつくられた第3次基本計画は、もう一遍、ちゃんと検討し直した方がいいと思われる内容をかなり盛り込んでいたと思います。第3次基本計画では地域主権改革と緑の分権改革がベースにあって、それに合った基本計画が描かれました。農業の担い手像は、「効率的かつ安定的な経営体」から「意欲ある多様な農業者」に変わりました。個別所得補償も入れました。ほかにも、平時からの総合的な食料安全保障を大事にしようとかですね、6次産業化とかバイオマスエネルギーのような自然エネルギーを重視しましょうとか、私の主張でもある医療・介護とかとの結合も盛り込まれています。それから、みどり戦略にも書かれている土壌診断による施肥量の抑制も、実は第3次計画の中ですでに書かれています。農業と生物多様性との関係を定量的に評価する指標を開発することも盛り込まれました。総じてみると、なかなか先進的な内容を含んでいたと感じます。

*第4次基本計画 2015年度~2020年度

ところが、安倍政権の下で、第4次基本計画の方向がガラッと変わってしまいます。「農林水産業・地域の活力創造本部」が中心になって作った「活力創造プラン」が基本計画を規定するという形になり、ここに一種の二重農政構造が出来上がりました。官邸農政になるわけですね。これはTPP交渉の影響があったのかもしれません。ともあれ、農水省が色々と独自の政策を考えようと思っても、それに枠をはめてしまう重石が農水省の上にあるわけですね。「活力創造プラン」という枠が、基本計画に基づく農業政策の方向を左右する。そういう基本構造になってしまったということです。

では、この活力創造プランがどういう内容を持っていたかと言うと、明確に生産力主義、市場主義へ回帰しました。形式上は一応、成長産業化の産業政策と「美しく活力ある農村漁村」と、ちょっと面はゆいような表現の地域政策とを「車の両輪」でやるんだという議論が出てきますが、衣の下には新自由主義の鎧が見え見えでした。

もう一つ、注目しておきたいのは、第4次基本計画では食料自給率50%目標を放棄しています。その代わりに食料自給力概念を持ち出しました。「農業の持続的発展」については、戸別所得補償が廃止され、経営所得安定対策に変わってしまった。ほかには、今、現場で問題になっている水田活用の直接支払い交付金、転作助成金の代わりですが、そういうものを導入するとか、農地中間管理機構を作るとか、収入保険制度も導入されました。さらに農協改革や、そのほかの団体改革を盛り込んでいます。

農村振興については、多面的機能法をつくって、それまでの農地・水・環境支払いを分割して、機能支払い(農地と水)と環境支払いに分けた日本型直接支払い制度が生まれました。多面的機能法で、集落機能を維持強化するんだということになってきました。一方では、集落の「集約とネットワーク化」が登場しました。これは、いわゆる「消滅可能性集落」と増田(岩手県)元知事によって表現された限界集落とされた地域を、各種機能の集まった中心的なところに移して、現に住んでいるのに、解体するという乱暴な論理が、効率的な地方運営の名目の下に打ち出されました。

*第5次基本計画 2022年度策定

第5次基本計画は、2022年の3月に閣議決定されたばかりです。これも、農林水産業の成長産業化を強調しています。競争力強化のために、生産基盤強化プログラムでスマート農業や農業版のデジタル・トランスフォーメーションを進めるとしています。一方で、明治大学の小田切先生の頑張りだったかと思うんですが、地域政策の総合化という新機軸が打ち出されました。家族経営も「地域の下支え」という表現ではありますが、多様な担い手の中に含まれました。まだ具体策は乏しいけれども、農村政策の3つの柱(地域資源活用による所得と雇用機会の創出、人が住み続けるための条件整備、農村を支える新たな動きや活力の創出)が、基本計画に書き込まれたことは非常に重要だと思います。

*検証部会での議論

食料・農業・農村基本法の見直しに向けて、2022年10月に第1回の食料・農業・農村政策審議会を開き、そこで検証部会の設置が決まりました。そのあと、わずか4か月ほどの間に9回も検証部会が開かれています。とにかく、急いでいます。それから、企業的な農業者しか検証部会の委員になっていない。多様な農業者の代表が欠けています。また脱炭素化へ過剰に傾斜しています。さらに、実現できるか分からない技術に依存するスマート農業の推進が基本方向になっているとか、攻めの農林水産業が食料安全保障を弱体化したことが反省されていないといった問題を持っています。

 

4.食料・農業・農村基本法下での農政の評価

4-1 ⾷料安全保障

時間が迫ってきたので略述になりますが、これまでの基本法に基づいて行われてきた政策の評価に移ります。食料の安定供給と食料安全保障政策ですね。このスライドには、1975年以降の関連する政策をまとめています。昨年(2022年)の12月だったと思いますが、「食料安全保障強化政策大綱」が「見直し」の決定からわずか2カ月か3か月くらいで出てきました。そんな短時間で大丈夫でしょうか。

次のスライドは、各国の食料自給率指標です。皆さんがたもよく承知のとおりですが、日本は最低ランクに近い数字です。それから食料安全保障問題に典型的ですが、日本の農業政策は、「羹ものに懲りて膾を吹くという」と、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」との両端を行ったり来たりしてきた。ぜんせん腰が定まっていません。

祖田先生との昔話の中でも出て参りましたが、イギリスのように、食料自給率が急回復した国々があるのに、日本はそれと比べて対照的である。フランスのような農業大国でさえ、農家の再生産を保証するエガリム法2が成立しています。こういう動きに学ぼうという姿勢が、あまりにも弱いと思います。2015年には、食料安全保障課が食料安全保障室に格下げされました。そしていま、食料安全保障が緊急の課題として急浮上した。こういう現実があります。

「農業の持続的発展」については、輸入自由化との関係が考慮されて来なかったというのが問題ですね。第2次安倍政権下で、農地集積を進めるために農地中間管理機構が設置されました。しかし、県レベルの組織なので、実際に動ける手足がないわけですよ。だから、行政コストをアップさせてしまうのではないでしょうか。時間の都合上、 担い⼿政策と経営安定政策、⼈・農地プランは割愛します。

4-2 農村政策と地域政策

農村政策というのは、旧基本法以来、存在しなかった。実態としては、確かに社会全体の変化があって、グリーンツーリズムとか、6次産業化というような動きが出てきました。コロナ禍で田園回帰の動きが強くなったと見られていましたが、先日の新聞報道によりますと、首都圏人口の流出超過が再び流入超過になってしまいました。これがどうなっていくのかなということは気になるところです。

*農村の振興に関連する施策

農村の振興に関連する政策や多面的機能の発揮・農業環境政策についても省略します。

*小括

小括です。食料・農業・農村基本法は、多面的機能の発揮のように、同法に盛り込まれた意欲と、国際政治のリアリティーのあいだの妥協の産物であったことは間違いありませんが、それでも1961年の基本法には欠けていた農村の視点と食料の視点、多面的機能を盛り込んだことには大きな意義があったと考えています。問題は、この意義や意欲が基本計画に十分反映されたのかどうかです。結論から言うと、基本法と基本計画はどんどん乖離していったというのが実態だった。

第3次基本計画だけは「あだ花」で、特異であったと言っていいでしょう。この基本計画は、食料・農業・農村基本法の意欲をそれなりに反映していたと思います。ただ、民主党政権はTPP参加を決めてしまったので、その代償だったかもしれません。第4次基本計画以降は、基本法の理念が形骸化しています。その最大の要因は官邸農政にあると言ってよいでしょう。基本計画を貫く、統一的・総合的な軸がほとんどないのが実情です。

 

5.新基本法への視座

*ぶれない理念・姿勢、腰を据えた農政

詳しく説明する時間が無くなってしまいましたが、新基本法を考えていく上で、幾つか論点を考えてみました。一番、重要なことは何と言っても、小括で申し上げましたように、腰が据わっていないと言いますかね、ぶれない理念、姿勢というものが欠けているということですね。そのブレない理念、姿勢をしっかり作りあげていかなければ、いくら新しい基本法を作ってみても、また同じ轍を踏むだけだろう。

実は、食料・農業・農村基本法を作るときに、1961年の農業基本法の策定に大きな貢献をした先輩がたが、すでに旧農業基本法についての反省を述べています。例えば小倉武一さんは、「基本法農政などなかった」と、基本法の理念を生かした農政はなかったと言っておられます。それから大内力先生は、基本的な農業のあり方についての哲学思想をきちんと持つべきだったと指摘しています。大原則的なビジョンを提起して国民に問う。そのことなしに国民的合意はないと強調しています。また農政審議会の会長であった武田誠三さんは、「農業の特質を世の中は忘れてしまっている」。武田さんは農業の役割を「命の産業」に求めておられますが、そのことを長期的、世界的な視野からきちんと捉え直すことが大事だと述べています。3人の引用を見ると、要するに哲学が大事なんだということです。現行の基本法と基本計画は哲学抜きで、その場かぎりの対応をやってきた。小手先対応あるいは対症療法的な対応に終始してきた。そういう体質から決別しないかぎり、先はないということでしょう。

ですから、拙速な議論を避けて、熟議型民主主義を実現させることが最も重要です。ところが先ほど申し上げましたように、10月に検証部会が出来て、これまで(2月17日)にもすでに9回、部会を開いています。それから昨日でしたかね、ニュースで報道されましたが、中央公聴会で柴田明夫さんが食料安全保障について報告しました。地方公聴会もやっているようですが、実情が分かりません。

つまるところ、この見直しのプロセスそのものが非常に問題ですし、現在のさまざまン問題にどのような理念で対応するのかがまったく議論されていない。ここに、非常に大きな問題があると思っています。この問題は基本法の見直しにかぎった話ではなくて、最近のほとんどの政策決定の手法を踏襲している。政治の貧困化に他ならない。民主主義をいかに取り戻すかが問われていると痛感しています。

*農と食の基本理念の徹底的な再検討

農と食の基本理念の徹底的な再検討のために、どんなことが大事なのでしょうか。一番重要なことは利潤原理ではなくて、「生命原理」に依拠することだと思います。それから、京大の秋津元輝さんの言葉を借りると、「農政+食」から、「農と食の一体的把握」に転換し、全体としてのフードポリシーを大事にする視点が大事です。フードポリシーの中には、環境と分配、健康、公正・社会正義、人権、食の民主主義などの要素が含まれます。

もう一つの論点は、「食の三重構造」という全体的な側面から捉え直すことです。「食の三重構造」は私が言いだした言葉ですが、季刊「農業と経済」の最新号で、西山未真さんがこのことを上手く展開してくれました。皆さんに参照してほしいと思います。

*モザイク型農業構造とパッチ状の景観

農業構造については、モザイク型のそれを目指していくべきではないかと考えています。モザイク型の農業構造については、池上稿の「多様な担い手の可視化と意義づけ-モザイク的展開による地域農業と農村地域社会の新たな方向」『食と農の世界をたてなおす』(『季刊農業と経済』2021年、英明企画編集)を参照してください。

*農業の担い手像の転換

全国優良経営体表彰という事業があります。最近はコロナ禍でやっていないようなので、たぶん一番新しい2019年の表彰事例を見ると、複合経営が多いんですよね。それから地域との連携を非常に重視しています。地域との共同生産なんですね。異部門との連携も共通しています。地域内循環も重視しています。このように「優良」な経営体でも、「成長産業としての農業」像とはどうも違うんじゃないでしょうか。

モザイク型の農業構造を達成していく上で大事なことは、大規模経営の補完、あるいは「地域の下支え」として、家族経営や半農半Xを位置付けるのではなく、パートナーシップまで高めていくことです。機能的な総合依存関係、特に稲作の資源管理、水路とかですね、皆でちゃんとやらないと大規模経営も出来ないんだということも大事ですが、そういう限られた相互依存関係を乗り越えて、パートナーシップまで高めなければ長続きしないと思っています。そのためには、共食と地域自給が重要です。社会的なパートナーシップと自給についてはこのスライドを見てください。ポイントは、モノの自給だけではなくて、文化的な自給とか社会的な自給にまで幅を拡げることです。そのことによって、共食と協同による自給網が形成され、暮らしの質が充実されていきます。この点で、1970年代、80年代に行われてきた、また現在も有機農業では続いている、地域自給運動の再評価・再点検が大事になってくるだろうと考えています。

*ファクリの中間報告と食料・自給・連帯

あと、2、3分いただきたいと思います。この点では、国連の「食への権利に関する特別報告者」のファクリさんの中間報告が非常に示唆に富んでいます。この中間報告の仮訳をFFPJの事務局の岡崎さんが翻訳して、FFPJのホームページに載せてくれました。参照していただければと思います。

*食の景観(フード・スケープ)の視点

食の景観という視点も大事だろうと思っています。詳しくは申し上げられませんが、とても大事だろうと思います。あとは項目だけ読みます。生物多様性の視点も非常に大事なのに、みどり戦略の中では脱炭素が非常に強調されている。環境問題は脱炭素だと限定しているようにしか見えません。みどり戦略は、稲作の中干しを長期化するとか、徹底することを強調していますが、それは生物多様性の観点からすれば大問題です。みどり法は環境負荷低減事業ということになっています。申しわけ程度に生態環境の生物多様性の強化に資する事業などを入れています。もっと明確に、生態環境増進(強化)事業ということを盛り込む必要があるだろう。つまり生物多様性の視点を明確に打ち出すことですね。

もう一つ、忘れてはいけないポイントが生命工学と情報工学がセットになった生命情報工学頼みのスマート農業じゃなくて、特に土壌微生物の力を活かす「生物スマート農業」を目指すべきだということです。そのために、アグロエコロジーの視点を導入することが大事だろうと思います。

*テクノロジーの冷静な評価

テクノロジーは冷静に評価しましょう。どこかの論文で書いたことがあるんですが、星新一さんのSFの中に、今日は何を食べようかと言って、部屋に配線されているパイプのバルブを開いて、そこからゼリー状の食べ物を取り出すというショート・ショートがあります。この食べ物は3Dのプリンターを使って配食される仕組みとつながります。こうしたSF的な世界が既に、実現の一歩手前まで来ています。実際、ブロッコリーの芯を3D式のプリンターを使う食品の原料に使うことが試みられています。その言い分は、ブロッコリーの芯を無駄に捨てなくていいということですが、本当にそうなのでしょうか。少し話が飛び過ぎているかもしれませんが、こういうフードテックの考え方というのは、トランスヒューマニズムと親密性があるように思えてなりません。トランスヒューマニズムは、血管のある身体というものを遺伝子工学とか情報工学で強化して、不老不死の身体を作っていこうという考え方です。これは優生思想とも関連していくだろう。そういう怖さを感じますね。

*食の農の統合的・横断的把握

最後の論点は、縦割りを打破しましょうということですね。参考文献を色々書いております。昔の論文も書いておきましたので、また見ていただいてと思います。ちょっと予定時間を超過いたしました。以上で報告を終わりにします。