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【報告】FFPJ オンライン講座第19回 :宝の海を返せ!~有明海異変と諫早湾干拓事業~

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FFPJオンライン連続講座第19回「宝の海を返せ!~有明海異変と諫早湾干拓事業~」が11月18日に開催されました。講師は有明海漁民・市民ネットワークの陣内隆之さんです。以下は、陣内さんの講義部分の概要になります。講座の資料はこち。文末までいくと、講座の動画をみることができます。

はい、皆さんよろしくお願いします。有明海漁民・市民ネットワークの陣内と申します。さっそくですけれども、話を進めていきたいと思います。今回、有明海の話をしてほしいという依頼があって、いろいろな因果関係だったら研究者、裁判だったら弁護士をご紹介しようと思ったんですけれども、全般的な話でということでしたので、それだったら私たちが自分でやった方が早いかなと思って、拙い話ですけれども私たちの方で引き受けてということになりました。

今日の話は、ここにあるような流れで話していきます。とにかく諫早湾の問題というのは、色々なポイントが多岐にわたっていて、あれもこれもと盛り込んでいったらこんなになってしまいました。皆さんのお手元にスライドが届いていると思うんですけれども、75枚という数にわたっているので、一つひとつ説明していくと時間が足りなくなるので、流す感じでざっと話していきます。あとでまた、終わってから、そのスライドを振り返るなりしていただければと思います。 

0.イントロ~事業の概要

さっそくイントロから始めさせていただきます。諫早湾干拓事業の概要です。諫早湾干拓事業というのは、有明海の西側の窪んだところの諫早湾の奥部約3分の1を閉め切るような形で、7キロの堤防で閉め切って、内側に調整池と干拓地を造成する複式干拓と言われているものです。目的は優良農地の造成と防災機能の強化ということで始められました。

これが諫早湾のできる前の状況です。赤い線はざっと堤防の位置を多少、前後するかもしれませんが引いたものです。こんな感じで日本一広大な干潟でした。それでこの複式干拓というのは皆さんよく分からない方もいらっしゃると思うので説明します。よく埋め立てと間違われる人もいるんですが、埋め立てというのはこの左側の辺野古の新基地なんかにあるように、文字通り、海に土砂を入れて埋めていく。これが埋め立てです。それに対して干拓というのは、土砂を埋めるということはしません。そうではなくて、仕切りを作って、その中の土地を干上がらせる形で土地を造っていきます。

以前からここの地域は地先干拓という形で、干拓は行われてきました。地先干拓というのは、堤防がない形で、先ほどのこういう土砂がどんどん溜まってきてしまいますので、溜まったところを囲って、そこを干上がらせて、土地を造成していくという形を300年以上前からずっと、少しずつ続けてきました。ところが今回の諫早湾干拓事業というのは、そういう少しずつやる地先干拓ではなくて、7キロの潮受け堤防で閉め切るような形で、調整池と中の干拓地を造ったという、その構造が大きな違いになります。 

1.ギロチンの衝撃~失われた干潟生態系

ギロチンのこの映像というのは、たぶん皆さんも年齢的にはご存じかと思うんですけれども、私もこの97年4月14日のギロチンの衝撃を受けて、この運動に入ってきました。

こういう形で外海との海水交換を断ち切られたのが、97年の4月14日です。それによって、干上がった干潟にたくさんの貝殻が浮き上がってくるというのがありました。ハイガイの死骸とかカキ礁などがこのような形で浮き上がってきて、豊かだった干潟の面影が分かると思います。干潟というのは、陸域から流入する有機物を様々な、こういうカニとか貝とかが食べてくれるので、自然の浄化というのがありました。そしてまた、ここは色々な稀少な特産種の宝庫であって、「うなぎかき」などの伝統漁法が続けられてきていました。沿岸の人々はこういった形で海に出て、晩のおかずを取りに行くような形で、本当に持続的な生活を続けてきていました。

干潟は子供たちの遊び場ということで、こんな泥んこになって子供たちが遊ぶ大切な場所でもありました。また渡り鳥がこういう形で群れとなってやってきて、そこには維管束植物であるシチメンソウが紅葉するような光景など、こんなにきれいな状況がありました。諫早湾干潟というのは、渡り鳥の中継地としても国際的に重要な場所でした。渡り鳥というのは、ここにありますように、南の越冬地と北のシベリアの繁殖地のあいだを日本、特に九州が中継地となって渡り鳥が北と南を往復するんです。そういう中で、右の図にあるように特にシギとかチドリ類がメインですが、諫早湾の堤防閉め切りを境に、諫早湾区域では渡り鳥の個体数がゼロになってしまいました。一部、筑後川の方に移ったものもあるみたいですが、数的には随分、減っているのが分かると思います。

有明海というのは、ここに示したような色々な特産種、これ以外にもたくさん特産種があるんですけれども、こういう色々な宝の海、魚介類の宝庫です。特に漁船漁業の主力としては、タイラギ漁ということで、こういう貝を潜水して海の底で貝を採ってきて、船に揚げて、船の上では貝殻をこうやって取っていくみたいな作業を続けていく産業がありました。

このギロチンの前に実は長い歴史があるんですけれども、共通しているのは複式干拓ということです。目的を水田造成、食料増産とか利水とかに変えていく中で、変えては色々反対に遭って、最後は防災と優良農地の造成ということで、市民の生命と財産を守るからと言って、現在の干拓事業があります。実際の真の目的は何かというと、やっぱり農水省が抱えている800人余りの干拓技官の仕事の確保というふうに言われています。それから長崎県を中心とする政官財利権の癒着がやっぱり目的になるのではないかなというふうに思います。 

2.ノリ大不作と有明海異変~諫早との因果関係

2番目はノリの大不作と有明海異変です。2000年の12月から大規模な赤潮が発生して、養殖ノリが打撃を受けたというのは皆さんもニュースでご存じかと思います。このことによって救うべき対象が干潟を守れということから、有明海全域で漁業を守ることを中心として、地域経済を守らなければならないというふうにステージが変わりました。

(1)深刻な漁業被害

ここにあるのは魚類の漁獲量です。干拓工事開始から徐々に漁獲量が減っていき、締め切り後もずっと漁獲量が減っている。特に長崎県の減り方がよく分かると思います。核心は諫早との因果関係ということです。具体的に見ていくと、例えばクルマエビなんかは締め切りを境にずっと低迷していますし、ガザミというのはカニの一種ですけれども、やはりずっと締め切り前後からカニが捕れないでいます。特にタイラギ、長崎県のタイラギの図を示したものですけれども、この点線のところが干拓工事の着工です。着工とともに諫早湾の湾口部で海砂を採取したことによってタイラギの漁獲が激減します。それと反比例するように砂の量はどんどん増えていきます。海砂を採ったことによって、93年から長崎県のタイラギは休漁という形に追い込まれました。

干潟を調整池に変えたことによって、諫早湾への負荷量が大きく増加しました。この図にあるように、締め切りを境にCODにしても全窒素にしても、データでは濃度が急激に上がって、基準値を超える状態が今も続いています。毎年、夏になると毒性のアオコが発生しています。こういうことと言うのは、諫早湾に限らず、複式干拓の宿命であります。八郎潟だとか児島湖だとか、ほかにも海外の複式干拓は例外なくこういう形になっています。こういうような形で閉め切り以降、赤潮の発生件数というのが、97年を境にずっと増加しています。

(2)有明海異変の要因は?

じゃあ、この有明海異変の要因は何だろうかということで、このあと説明していきます。右側の図は、佐賀県西南部で今も続いている、ノリの色落ち被害の様子の写真です。こんなに真っ黄色なノリになってしまっています。

特に魚類の話をしますと、これは有明海の評価委員会の資料のもので、例としてシログチを挙げています。魚は有明海の湾口部で産卵して、有明海を浮遊するような形で奥の方にいって、奥部の干潟で稚魚が成育して、それがまた海の流れに乗って、産卵場に戻るということを繰り返しているんですけれども、そういう中で干潟・藻場というのが大変重要な場所となっています。そういう干潟がなくなったこと、それから潮流が減少したこと、底層が貧酸素になったこと、餌となる生物が減少したこと、これが大きく影響しています。

まず干潟の喪失ということですけれども、昭和前期までの干拓は10年間で大体、220㌶の干潟の喪失だったものが、近年の19年間のあいだに3,229㌶も減少し、その半分が諫早湾干拓による喪失となっています。諫早湾の干拓によって稚魚の生育場が物理的に消滅し、また自然の浄化機能が消滅したということが分かると思います。

潮流の減少と特性の変化ということで、諫早湾を閉め切ったことにより、この右の図にあるように、近い所から順に、マイナス90%から20%というような形で潮流が減少しました。このことによって、本来、有明海というのは、諫早湾の方に上げ潮時に流れ込む流れがあるものですから、全体として反時計回りの残差流というのが発生していました。このことによって有明海の海流が上手く混ざっていることができたんですけれども、閉め切ったことによって、流れが反射して、東西の非対称というのがなくなってしまいました。そのことによって特に佐賀の西南部では、大きな筑後川からの流れが弱くなって、ずっと滞留してしまうこと、諫早湾からの排水も届きやすくなってしまうということ。このことが特に佐賀の西南部のノリの色落ちに影響しているのではないかなというふうに思います。

底層の貧酸素化ということですけれども、この図は酸素飽和度を緑から青くなればなるほど酸素の濃度が低い場所を示していて、特に有明海の奥部とか諫早湾で貧酸素水塊が発生しています。これはそもそも、淡水が大量に供給され、小潮で潮流による混合、混ざる力が弱まることによって、この右の図にあるように密度成層という形で、塩分濃度や水温が幾つもの層になるようなことが発生し、そのことによって、底質・底層の方で貧酸素の状態になってしまいます。貧酸素の状態になると、やっぱり有明海の魚は底層をすみかとしているものが多いので、酸欠になって死んでしまいます。

次は底生生物の減少ということですけれども、干潟がなくなったり底層が貧酸素化することによって、魚の食べ物である生物がこの図にあるように激減してしまいました。

以上をまとめたものがこういう連関図ですけれども、閉め切ったことによって潮流・潮汐が変化し、また干潟が消滅しました。潮流・潮汐の変化によって貧酸素・赤潮が発生したり、干潟の消滅によって水質浄化機能が失われたりということで、有明海異変につながっているということが分かりました。

(3)松永秀則さん(諫早湾小長井漁協)の証言(撮影:映像ディレクター/井手洋子さん)

諫早湾の堤防の北部排水門のすぐ近くで漁業をしている松永さんのお話を聞いていただきます。

「今、極端に言ったら、昔の既存の仕事がまったくできていないということですよね。タイラギ漁もダメになったでしょ。網でもダメ。今までやっていた仕事がまったくダメになってしまって、今やっているのが、カキとアサリ、で補助事業ですよね。だからもう2年、仕事の形態が変わってしまっているという状態ですね。」「これ(稚貝)はいつできたやつですか?」「去年です。秋のやつ。生きているんですよ。生きているんだけど、これを本来なら沖に出して育てたら、来年は成貝になるんだけど、梅雨から夏場にかけて排水をされるでしょ。そのあとやっぱり赤潮から貧酸素になったりして、全部、死んでしまうんですよ。だから年を越しきれないから、こういうのも自然にできても、みんなお金にならんわけですよね。いろんな努力をやるんだけど、環境が壊れてしまっているので、もうやりがいがないし、意味がないですよね、効果が出ないから。自然を戻してですね、やっぱり自然の恵みを受けながら生活していくのが、本当の漁民の姿であって、やっぱり、ですから、海の自然を戻してもらえたらなと思いますよね。子供たちとか孫とかに、豊かな自然の環境を継がしてやりたいと。若い者に対しても、声を上げられない人とか色々様々でしょうけれども、思いは一緒と思うんですよね。この海で生活をしたいという思いは一緒なんですよね。私たちはやっぱり、被害が2割から3割くらいですよということを聞いていたんですね。国を信用してたんですよ。」「堤防ができても?」「はい、しかし、現実はやっぱり7割から8割くらいの影響があったんで、もうないなという思いで、諫早市民の生命や財産を守るためだということで、防災干拓地をやったんですね。これはやむを得ないなということで決断をしたんですけれども」「ところが?」「防災にあんまり効果がないと聞いてですね、我々は何のために協力したのかなと。国に騙されたのかなという思いが強いようになりますよ。やっぱり開門しかないと思うのはですね、平成14年だったですかね、短期開門があったでしょ。その時、やっぱり極端に水門から近くの方が改善されたんですよね、環境が」「環境が改善された?」「ですから、やっぱり開門しかないなという実感がみんな、湧いたんですよね。今までね、調査もいろんな調査を長年やってこられたし、漁業振興策もいろいろやってきたけれど、原因も分からない、効果もないという状態でしょ。だから調査のために開門をしたら、分かるじゃないですかと、言いたいんですよ。だから開門しかないんですね」。 

3.戦いの歴史

 続いて、戦いの歴史ということで、ノリの大不作以降の経緯をお話していきたいと思います。

(1)諫干中止を求めて

ノリの大不作による漁民の物凄い抗議を受けて、いったん干拓工事は中断します。そして政府は第三者委員会というのを設置して対応するんですけれども、その第三者委員会が「中長期開門調査を求める見解」というのを、その年の暮れに出します。これに慌てた農水省が色々考えるんですが、工事は再開すると。で、その短期開門はやるので、中長期開門はやらずに、事業完成を前提に短期開門調査を実施するということで行なわれました。そのあと2004年に中長期開門調査見送りというのを、正式に表明をしていきます。

このノリの第三者委員会の開門調査の見解というのは、ここに書いてあるようなことですけれども、まずは2カ月程度の短期、半年程度の中期、それから数年にわたる長期、そういう段階的な形で開門調査を実施しなさいという見解です。そこではできるだけ毎日の水位変動を大きくして、大きな海水交換をするようにしなさいという見解が出されました。それで2002年の4月24日から約1カ月間、短期開門調査ということで、調整池に海水が導入されました。

ここで、開門というのがよく誤解されることがあるので、ちょっと説明しておきます。潮受け堤防で閉め切ることによって、水が閉じ込められたままかというと、そうではない。左側にあるように、陸側から流れ込んだ水を溜めたままだと一杯になって溢れちゃいますから海に出します。現状は調整池の水位を-1.2mから-1.0mに制限するような形で干潮時に調整池の水を一方的に海に出しています。私たちが求めている開門というのは、そういうことではなくて、短期開門調査で行われたときのように、外の海の水を中に入れる。外と中の海水交換を可能にする開門、水門開放のことを私たちは開門と呼んでいます。このあとずっと開門、開門と言いますけれども、そういうことであるということを、ちょっと頭の隅に入れていただきたいと思います。

この短期開門調査では、一時的に調整池の水質が回復しました。海の水を入れて塩分濃度が上がることによって、色々な濁りだったりクロロフィルaというものが下がっていって、開門すれば調整池の富栄養化した淡水の排水がなくなり、海水交換によって水質が改善されるということが分かりました。この短期開門調査のときに、一時的に底生生物がこのように急激に増えました。しかし、そのあとまた、門を閉じてしまったので、元の木阿弥になってしまいました。

2004年の5月に、亀井農水大臣が中長期開門調査見送りというのを表明するわけです。それに代わる方策として、ここに揚げられたものをやり、開門調査はやらないというふうに表明したんですけれども、そこで言われているのは、開門を抜きにした有明海再生事業の開始。この時点から開門を抜きにした再生事業が始まります。

これと前後して「よみがえれ有明訴訟」というのが始まります。佐賀地裁では工事中止の仮処分決定が出ますけれども、それがまた、福岡高裁で取り消されるなど、一進一退を繰り返してきました。

そういう中で、2007年11月には干拓工事が完成し完工式。翌年の4月から営農が開始されることになりました。このことによって、今までの干拓工事中止という要求から、営農を前提にした水門開放ということにステージが変わります。

(2)開門確定判決とサボタージュする国

開門確定判決とサボタージュする国ということで、2008年の6月にはまず佐賀地裁で開門判決が出るんですけれども、これに対して国は控訴します。私たちは控訴するなという要請行動をしたんですけれども、開門アセスをするということで控訴します。

2010年12月、今度は福岡高裁で同じように水門開放を命じる判決が出されまして、これを当時の民主党政権の菅直人首相が受け入れて、確定することになりました。この判決というのは国を相手にした裁判では画期的な判決ではないかなというふうに思います。その概要を長くなるので主文だけ読みますと、「判決確定の日から3年を経過する日までに、防災上やむを得ない場合を除き、諫早湾潮受け堤防の北部および南部排水門を開放し、以後5年間にわたって開放を継続せよ」というのが判決の主文です。

これで、国がおとなしく、その判決を履行していれば良かったんですけれども、これを守らない、確定した判決に国が従わないというところから、裁判が乱立するようなことが始まっていくわけです。これを説明すると長くなるので言いませんけれども、左側が漁業者を原告とするもの、右側が開門に反対する住民が起こした裁判、真ん中が開門義務を守らない国が起こした裁判になっています。このような形で、開門判決を履行しなかったために様々な裁判が今も続いているという状況をここに示してあります。

その中で、和解協議というのも行われたりしました。しかし、その前提として国は、開門しないことを前提とするのであれば和解協議に応じるということで、「開門しないことを前提とする基金案」というのを出してきました。それは何かというと、10年間で100億円の資金を出すので、それで開門しないで有明海を再生してくれ、みたいな話です。そもそも2004年以降、この当時12年間、有明海再生事業に430億円使われてきたんだけれども、一向に漁業被害は改善されていません。という中で漁民側は、こんな手切れ金みたいなもので解決するわけにはいきませんから、これでは飲めないということで、結果的に和解協議は決裂していく形になりました。

和解協議が決裂したのを受けて、「開門差し止め訴訟」というのが長崎地裁で行われていまして、開門してはならないということを命ずる判決が17年の4月に出されます。これを国が控訴せずに受け入れる形になって、確定していきます。国は相変わらず、国の基金案で和解をめざすんだ、ということを今現在もそのような方針で臨んでいます。

今、たくさんの裁判が行われているんですけれども、その中でも特に重要なのが「請求異議訴訟」という裁判です。請求異議訴訟というのは、国が開門義務を免除してくださいというようなことで起こした裁判です。それが今、最高裁で争われています。いったん差し戻したやつがもう一回、戻ってきて最高裁で争われているんですけれども、その福岡高裁から再び上がってきた内容というのが、やはり事実上の再審に踏み込むなど、色々な問題があります。この最高裁で国が勝つということが仮にあるとすると、それは確定した判決を守らなくていいというようなことを裁判所が認めるような形になってしまうので、これは有明海だけでなく、様々な裁判にとって重要な新たな判例となるということがあります。

この裁判の過程で実は福岡高裁で「和解協議に関する考え方」というのが示されました。私たちはその考え方に沿った話し合いの解決しかないのではないかということで、今、国と交渉を行なっているところです。 

4.農民も被害者(放置された防災、国の営農宣伝の偽り)

次は農民も被害者ということで、話をしていきます。

(1)放置された防災

まず防災に関することです。本来行われるべき防災対策が諫早湾干拓の完成を名目にこの間、ずっと放置されてきました。左側がよく言われる諫早大水害の眼鏡橋の写真ですけれども、眼鏡橋に上流からの木材が詰まって、洪水を引き起こしたというのが実態です。右側は旧堤防が、本来ならば旧堤防をちゃんと補強しなければならないんですが、このようにずっと放置され続けてきました。下は高潮被害ということで、当時の高潮被害の様子の写真です。

2011年8月24日、ギロチンから14年後にも実は農地に湛水被害がこのように発生していました。つまり諫早湾干拓には防災効果がないということがこのような形で表われたわけです。

もともと諫早湾干拓の防災には、3つの効果が言われていました。高潮、洪水、排水不良に対する効果があるんだと言うふうに言われていました。実際に高潮には効果を発揮していますけれども、高潮の時以外は開門すればいいのであって、別に開門に支障はないです。洪水に関していうと、諫早大水害のような洪水を防ぐ効果はもともとありません。ということは、後に農水省も認めています。実際、国交省が諫早干拓とは関係なく、防災対策を実施しています。排水不良対策については、平常時の排水には改善効果はありますけれども、洪水時の排水対策としては極めて不十分であって、排水路・排水ポンプの増強が必要であるという問題があります。

洪水でいうと、諫早大水害というのは、この図の右側の方ですけれども、やはり河口から5キロ以上上流の問題で、河口の標高より10m以上高い場所にあるので、そもそも海の水が被害地にやってくるということはありません。影響は河口から2キロぐらいまでと言われておりまして、そもそも諫早干拓で潮受け堤防で閉め切ることによって市街地の洪水対策には何ら関係ないということがこの図で示されています。

それから湛水被害について、この図は農水省が開門によって調整池の水位が上がると防災効果が失われるということで示されたものです。実際に潮受け堤防閉め切り以降、調整池水位が-0.5m以上上昇したときには、背後地に湛水が発生していますというものを示していて、そもそも洪水時に調整池の水位が上がるのは当然なので、農水省自身が防災の役に立たないということを公言しているような図になっています。

なぜかというと、排水不良のメカニズムとしては、大雨が降ると調整池にどうしても水を溜め込まなければなりません。そうすると現状では調整池に水が溜まっているので、その低平地の水を排水することができません。ところが開門すれば、潮の干満と同時に低平地の排水を調整池に流すことができるので、むしろ諫早湾で閉め切ることによって、低平地の排水不良を引き起こす、そういうことにつながっています。なので、実際には、対策としては開門の有無とは関係なく、低平地に排水ポンプを増強したり、排水路を整備・拡充することが必要になってきます。実際、農水省は排水ポンプを各地に増強しています。

以上をまとめるとこんな感じになります。今、言わなかったことで、特に開門すると農地に塩害が起こるなどと言われますけれども、それについても長崎地裁の保全異議決定の中で、塩害は数名の債権者に限られる、ということでそもそも開門のための準備工事をきちんとやることによって、農業者に対する対策はできるんだということが国からも言われています。

ということは佐賀県からも言われていて、「私たちはこう考えます」ということで、提案をされています。

(2)国の営農宣伝の偽り(「優良農地」の現実)

次は農業の話です。優良農地だと謳われてきて、ここにあるような形で、長崎県の公社によるリースという形で始められています。一区画が6㌶、こういう区画でリースしていくんですけれども、そこは用水、排水路も整備された優良農地で環境保全型の農業を推進します、ということで始められました。

ところが実際には、排水不良が深刻になっています。もともとここは干潟だったので、そもそも乾燥すれば硬くなるし、雨が降れば軟弱になって、農作業を妨げる場所です。それから不等沈下によって暗渠排水施設もガタガタになるし、また排水管の目詰まりも起きやすい場所でした。そもそもそういうことは当然、想定された話ではないかなと思います。実際、そのようなことが起こっています。

それからカモ類による食害で、左側の図がそのカモによって食べつくされた畑です。もともとここは干潟で、シギ・チドリの楽園でした。シギ・チドリというのは、ゴカイとか底生生物を食べる鳥ですが、それがいなくなって、逆にガン・カモという草などを主に食べる鳥が、調整池で休み、隣には格好の餌場があるということで、カモに食べつくされてしまいます。また干拓したことによって、気候が海洋性から内陸性に変化してしまいました。そうすると、夏は熱害、冬は冷害ということで、農作物に影響が出ています。最近はそれではやってられんということで、ハウス栽培が増加しています。

農業用水もこの図にあるように水質、COD、全窒素、全リン、それらすべてにおいて、保全目標値を上回り続けています。農業用水には使えないということですが、実際には本明川の根元の赤い丸のところから水を取水しています。

リース方式でも離農者続出ということで、あとでまたリース方式の話をしますけれども、結局、2008年の営農開始から5年ごとに契約を更新するときに、この図にあるように、1期目解約が黄色いところ、2期目以降解約がオレンジのところ、水色のところが係争中ということで、離農者が続出しています。ぜんぜん優良農地ではないということで、どんどん離れていく人が出ています。

今日、都合が付かずに参加して頂けなかった松尾さんですけれども、諫干の営農者訴訟ということの原告で立ち上がりました。もともとは開門反対派の急先鋒で、長崎県の勧誘で入植したんですけれども、実際にやってみたらこういうことでぜんぜん立ち行かないということで、被害を受けて、損害賠償、開門を訴えるようになりました。一方で国からはその土地の明け渡しを求められていたりしています。 

5.農漁共存を求めて~諫干が私たちに問いかけるもの

最後、農漁共存を求めてということで、何でこのような無駄な公共事業が強行されて今も被害を出し続けているのかということを考えていきたいと思います。

これは日本環境会議で主催したセミナーの宮入先生の資料からのものですけれども、そもそもこの諫早湾干拓事業というのは、費用対効果というのがとても悪いです。国の試算でも0.83で下回っていますし、宮入先生の推計では0.27という形で、まったく費用に対する効果が合わない事業になっています。しかも県とか農家の負担を国の負担に転嫁することによって農家の負担を軽くしようというような構造があります。それでも全農地は売却することが困難であるということで、売却という形ではなく、リース方式ということで現在、行なわれています。

2番目の問題として、やっぱり肥大化した政官業学の利権構造が挙げられるのではないかなというふうに思います。このいわゆる鉄の三角形というのは、公共事業問題で言われていることですけれども、この諫干でも企業献金だとか天下りだとか有利な取引条件だとかという形で、実際にそういうことが行われてきていました。

地域における公共事業依存体質の深化ということで、やっぱりこの工事の当時は地域の諫干に依存することがありました。そしてまた漁業の被害が深刻化するにつれて、漁業者も漁業を廃業して干拓工事の下請けなどに吸収されるような形となり、干拓反対の意見が封じ込まれることにつながっていきました。それからまた、補助金などの支出によって事業への取り組みなども行われてきています。

あとは、事業の中止・転換の制度装置を欠いた公共事業ということで、官僚の無謬性というのを指摘したいと思います。「官僚は間違いを犯さない」ということが今の日本の官僚の特性ではないかなと思うんですけれども、それがここでも当てはまります。環境アセスメントとか時のアセスみたいなことも行われましたけれども、結局それも官僚の意向に沿うような官僚機構の手の中で処理されてしまうような形になっています。さらに特に長崎県の異常体質というのはやっぱりこの事業の特質だと思います。農業者を囲い込んで開門準備に徹底的に抵抗してきています。

農水省というのは、ここにあるように漁民を騙し続けてきました。もともと事業開始に当たって、影響は軽微だということで、市民の防災のためなんだということで同意を取ってきましたが、実際にはそうでなかったということです。中長期開門調査の見解が出ると、それに代わって有明海の再生策をやるから大丈夫だということを言ったんですけれども、結局、再生事業によって有明海は再生されていません。で、開門アセスを理由に準備工事を先送りして、開門差し止め訴訟ということで開門反対派が相手取った訴訟では、馴れ合い訴訟を行なって、開門しない方針を貫きました。

三権分立の崩壊ということで、先ほどのその最高裁での話もありましたように、国が確定判決に従わなくてよいという新たな判例が出るかもしれないという重大な局面に今あります。

やはり自然との共生こそが時代の要請ではないかなというふうに思います。海外では水の自然の流れを保全した事例がたくさんあります。国内でもあります。有明海には3カ所のラムサール条約登録地もありますので、諫早湾の水門を開放することによって、それが自然再生のシンボルとして国際的な注目も集めるし、沿岸地域の再生にも寄与することになると思います。

開門は農漁共存の第一歩ということで、まず1つとして、開門を準備することが漁業者だけでなく、営農者にとってもメリットになるんだということです。必要な対策工事、防災対策が国費で実現できます。農業用水にきれいな代替水源の水を確保できます。今、起こっている冷害、熱害、食害の軽減にも役立ちますし、そういった対策にこそ、今、農水省が言っている基金というものを使うべきではないでしょうか。で、また開門によってもちろん漁業環境が改善されますし、同じように有明海異変への解明に貢献できると思います。それらが全体として新たな地域経済を育んで、長年続いている無用な諍いを終結させて、地域に平穏をもたらすということで、諫早湾の水門開放というのは、すべての人たちにとってプラスになる。そういうものであるというふうに私たちは考えています。

これで終わりです。開門が拓く、諫早・有明海の未来ということで、農民と漁民がお互いに手を取り合って持続的に生活していく、そんな地域を実現することを私たちは願っています。以上で発表を終わります。ありがとうございました。

FFPJ第19回講座の動画はこちら↓

 講座で紹介した松永秀則さん(諫早湾 小長井漁協)の動画はこちら↓