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【報告】FFPJオンライン連続講座第12回 農業・農村のジェンダー平等をめざして

· ニュース

FFPJオンライン連続講座第12回「農業・農村のジェンダー平等をめざして」が3月18日(金)19:30〜21:00まで行われました。講師は、ジェンダー史と農村社会学が専門で同志社大学助教(報告時)の岩島史さん。以下は、岩島さんの講義部分の文字起こしになります(資料はこちらからダウンロードできます。また、末尾までいくと、YouTubeの動画*をご覧いただけます。)。

*動画には、藤原麻子さん(農民連女性部事務局長)のコメントや質疑応答の様子も含まれています。

 

こんばんは。岩島史と申します。今日は先ほど関根さんからもありましたように、このプラットフォーム初めてのジェンダー企画ということで、この場で皆さんとお話できるのをたいへん楽しみにしております。

では最初に簡単に自己紹介をしたいと思います。私の専門はジェンダー史と農村社会学です。今は政策学部というところに所属しておりますが、もともと農業農村の勉強をして農学部で学位を取ってきました。具体的にはこれまで農村女性の地位向上やエンパワーメントを目指して展開されてきた政策、農村女性政策というふうに呼んでいますが、をジェンダーの視点から研究してきました。特に1950年代から60年代に活発に行われていた農村女性による生活改善だとかグループ活動を研究対象としてきました。先ほど紹介していただいた、2020年に出版した『つくられる〈農村女性〉」という書籍はこれまでの研究をまとめたものです。

そこで主に問いたかったことは、今、農村女性というと日本では、昔はすごく過労に苦しんでいたし、家族の中で抑圧された存在だったのが、現在では農業の担い手や地域経済の救世主として活躍するようになったというストーリーが、特に農林水産省がそのようなストーリーをアピールしていることもあって、結構広まっているイメージではないかなと思います。ですが、そのようなイメージでこれまでの農村女性の経験を一括りに語ってしまうことが実は構造的な不平等を温存しながら、そこから目を逸らさせてきたのではないかという問題意識でこれまで研究をしてきました。本日はそのような歴史的な経緯が現在とどのように繋がっているのかというところにも触れながら、今の日本の農業農村におけるジェンダーについて考えていくことができればと思っています。

今日の内容ですが、まず、国際連合の開発目標SDGsでジェンダー平等というのがどのような位置付けにあるのかを確認した上で、今の日本の農村女性政策で、どんなふうに女性農業者をめぐる課題が指摘されているのかということを紹介したいと思います。このあとジェンダーという考え方をもう一度紹介して、そのジェンダーの視点から見て日本の農村女性政策にどのような問題があるのかということを考えてみたいと思っています。 

1.SDGsとジェンダー平等について

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ではまず、SDGsとジェンダー平等について、皆さんご存じかとは思いますが、国際連合の持続可能な開発目標、SDGsというのが最近、日本ではかなり注目されているのではないかと思います。最近では学校教育だとか企業の取り組みも含めて、日本ですごくSDGsは皆が知っているものになってきていますが、もともと最近始まったものではなく、2000年に作られた国際連合のミレニアム開発目標で解決できなかった問題を2015年からさらに今後の目標にしていこう、2030年までに達成できるようにしていこうというふうに作られたものです。

SDGsでは貧困と飢餓の削減、環境保全などを2030年までに達成すべき17のゴールが設定されています。その中でジェンダー平等と女性のエンパワーメントというのは、ゴール5に位置付けられていて、17個のゴールのうちの1つであると同時に、すべてのゴールを達成するために必要不可欠なものと位置付けられています。例えば、こんなふうに書かれています。ジェンダー不平等は今でもすべての社会に深く根付いている。女性は働きがいのある人間らしい仕事につきにくく、職業差別や男女の賃金格差に直面している。多くの状況で、基本的な教育や健康のためのケアを受けられず、暴力や差別の被害者となっている。女性は政治的経済的意思決定過程で十分に代表されていない、というふうに書かれています。

最近日本で注目されるSDGsの取り組みというのは、環境保全であったり二酸化炭素の削減というところには結構、注目が集まりがちですが、SDGsの中でジェンダー平等というのが、すべてのゴールを達成する前提であると言われるほどの重要性を持っているということはあまり注目されてきていないのではないかなというふうに感じています。それとも関連して、日本のジェンダーギャップ指数がすごく低いということも周知のことかと思いますが、少し紹介しておきたいと思います。 

*低い日本のジェンダーギャップ指数

世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数は0が完全不平等、1が完全平等という0と1の間のスコアで発表されますが、2021年の日本の順位は156カ国中の120位というかなり低いものでした。

教育、健康、政治、経済の4つの分野でスコアが付けられますが、右下の表を見ていただいたら分かりますように、下の2つ、教育、健康に関しては、0.98とか0.97という高いスコアを記録しています。それに対してものすごく低いスコアになっているのが政治の分野です。政治は国会議員の男女比、閣僚の男女比、過去50年間の国家代表の在任年数の男女比でスコアが付けられるわけですが、これが0.06というかなり低い数字で記録されていて、つまり日本の政治のほとんどが男性によって行なわれているということを示しています。続いて低いのが経済で、労働力率の男女比であるとか給与格差、幹部・管理職での男女比、専門職・技術職での男女比というところで、農業農村に関しても、この政治経済面での男女格差というのが深く関連してくるところかなと思います。 

*世界銀行の報告書「女性、ビジネス、法律2022」(2022年3月1日発表)でも190カ国中103位タイ

もう一つ、世界銀行の報告書、「女性、ビジネス、法律」というのがありますが、こちらでも日本はかなり低い順位を記録しました。

こちらのスコアでは移動の自由、労働環境、賃金、結婚、育児、起業、財産、年金という4つの指標で0から100の点数を付けられるわけですが、特に低かったのが、労働環境と賃金という、下の図でいうと、左から2つ目と3つ目です。このスコアというのは主に東京のスコアを考えて換算してありますので、必ずしも農業農村という状況と一致するというわけではないのですが、労働環境と賃金の男女格差が大きいということは農業農村とも関連してくることかなと思います。世界銀行からは法的に同一労働同一賃金が認められていないことが改善点として指摘されています。このように日本社会全体として男女の権利が同等とはまったく言えず、世界的にみても低い水準であるということをまずは確認をしておきたいと思います。 

2.日本の農村女性政策

では続いて農業農村の場合を見ていきたいと思います。農林水産省は2020年に2つの文書を発表して、女性農業者に注目していますよという姿勢を強く打ち出しました。

1つ目が『令和元年度食料・農業・農村白書』というもので、これは毎年発表されている白書ですけれども、農林水産省の政策の方向性を示すものです。その中で毎年、その年の特徴的なことを選んで、巻頭特集が組まれるわけですが、ここで初めて女性農業者が特集で取り上げられています。この白書の特集では「輝きを増す女性農業者」というタイトルが付けられていまして、まず「女性農業者の活躍の軌跡~『生活改善』から『活躍』の時代へ」というふうに書かれています。実はこれは私がこれまで批判してきたような、できあがった成功ストーリーですけれども、そういうストーリーで過去の農林水産省の政策から現在までを振り返るというのが括弧1番。2番目に「現場で輝きを増す女性農業者」として、これは最近20年間での女性農業者の経営参画に関する成功例などが紹介されていますけれども、そこに繋がっていくというストーリーが作られています。3番目に「もっと輝くため」にというところで、女性が働きやすく暮らしやすい農業農村にするための課題というのが指摘されています。

もう1つが『女性農業者が輝く農業創造のための提言』という文書で、これは女性農業者に関する施策の課題と方策をまとめた報告書になります。これは農林水産省がこれまでに出した歴史上、2つ目の女性農業者に関するビジョンということになりますけれども、初めて農林水産省が農村女性や女性農業者に関する施策の方向性というのを示したのは1992年でした。そのときに作られた「2001年に向けて-新しい農山漁村の女性-」というビジョン以来、28年振りに出たものになります。この中ではもう少し詳しく女性農業者を取り巻く環境の課題と方策が述べられています。ここからのパートでは農水省の見解を参考にしながら女性農業者を取り巻く現在の課題について見ていきたいと思います。 

*課題(1)女性の家事・育児・介護負担

女性農業者を取り巻く課題の1点目が女性の家事・育児・介護負担です。これは農林水産省の2つの報告書、白書と提言が2つとも共通して指摘していることです。右に示してありますグラフは農業農村に限らず日本社会全体で6歳未満の子供がいる共働き夫婦の家事・育児時間を示したものですが、妻が合計で334分を育児・家事・介護に費やしているのに対して、夫は合計で68分とかなり差があることが見て取れます。一番左側の濃い青が育児、水色が家事で、一番少ないのが介護です。家事・育児・介護は女性がするものだというような古い性別分業意識というのが根強いからだというのが農林水産省の2つの報告書が共通して指摘していることです。また、都市部に比べて保育園だとか病児保育の施設・サービスが使いやすいところにないというハード面の問題も指摘されています。

これに加えて、農水省の白書や提言ではあまり触れられていませんが、女性農業者の家事・育児・介護をめぐっては、妊娠・出産という問題もあるかと思います。家事・育児・介護というのは、社会的に社会サービスで共有したり家族間で共有できるのに対して、妊娠というのは女性農業者に特有の出来事になるわけですけれども、産休・育休制度が整備されている企業で働くのとは異なる休みづらさがあるのではないかと考えられます。例えば家族農業だからこそ、自分が休むと代わりがいないという問題もあるでしょうし、私がこれまで研究してきた1950年代の頃からすごく問題になっているのは、農家で働く農家の“嫁”というものは、出産直前でも働くし、出産直後でも働く。それが当たり前だし、いい嫁なんだという風潮。そういうものがあったから、休めなかったというのは歴史的にも何度も問題化されていることです。現在でも世代だとか人によって全然違うと思いますが、似たような状況で休めないということが今でもあるのではないかなと思います。 

*課題(2)政治的意思決定の場に女性が少ない

続いて2点目です。2点目は政治的意思決定の場に女性が少ないということです。この表に示していますように、農業委員に占める女性の割合は12.1%、農業協同組合の役員に占める女性割合は8%、認定農業者に占める女性割合が4.8%、自治会長に占める女性割合6.1%ということです。実はこの数値というのは、先ほど紹介した農林水産省の白書、提言では、こんなに上昇したんだよという成果として示されているものです。というのも、このような統計が取られるようになったのは、男女共同参画社会基本法が1999年に制定されてからですが、その最初のときに取られた統計ではいずれの割合も約1%という数字でした。なので、そこからこんなにも増えてきたんだ、改善したんだというふうに成果として掲げられています。

ですが、ふだん主として自営農業に従事する基幹的農業従事者の40%程度を、現在でも女性が占めていることを考えると、その中で10%程度しか政治的意思決定の場に女性がいないというのは、国連のSDGsが指摘する「十分に代表されていない」状態であると言えます。さらに問題なのは、一部ではこの数値目標というのが形骸化しているということです。これまでの調査で聞いた話では、女性に「農業委員にならないか」とか、「農協役員になってくれないか」というような勧誘をする際に、あなたになって欲しいというのではなくて、「誰でもできるんだから大丈夫だから」「座っているだけでいいんだから」というふうに勧誘されることがあるということです。これはただ形だけ、最近は女性の割合を増やさなくてはいけないから、女性枠の席をあたためる人を探しているわけで、そこに黙って座っていればこの数値は達成され、男女共同参画が進んでいるというふうに評価されるわけです。

しかも一昨年でしたか、東京五輪の元組織委員長だった森喜朗氏の発言にあったように、女性理事が多いと話が長いだとか、だけどうちの理事たちはわきまえているからそんなに喋らないだとか、そのような発言があって、すごく問題化されましたが、むしろ喋らないでいることこそが、より評価されるような状況もまだまだあるわけです。

先ほど述べたように、家事・育児・介護が女性に偏っている現状では、忙しくてこのような役員になれないという人たちもたくさんいます。そのような中で状況が許すごく少数の女性たちが独りでたくさんの委員を掛け持ちして、どうにかこの数値を作っているというような話も聞いています。また新しく入ってきた女性たちに、これまでのずっと政治を牛耳ってきた人たちから、「経験が足りない」みたいな批判があったりだとかもするわけですけれども、それも新しく入ってくる人たちへのサポートがきちんとできていれば、問題が解決できるはずの課題なのではないかと思います。 

*課題(3)農業経営に関して女性の研修機会が少ない

最後は3点目です。3点目の課題は、女性の農業経営に関する研修機会が少ないということです。その理由の1つ目として考えられるのは、女性が農業経営者と見なされていないということです。農林水産省の提言で指摘されているのは、研修の案内が世帯主にしか届いていないために、その妻である女性農業者には情報が行き届いていないのではないかということがあります。そのほかにも、農林行政職員にインタビューを行なった研究によると、地域の経営について良く知っているはずの普及職員だとか行政職員がその経営の世帯主である夫については知っていても、そこで女性がどのような働きをしているのかに気づいていないことがままあるということです。

これに加えて私がここで指摘しておきたいのは、歴史的にも後でも少し述べますように、農業技術の研修は男性向け、女性向けには生活改善をしようという農政からの働きかけが長く続いたことが、このように現在でも女性が農業経営者とみなされない素地を作ってきているのではないかなと思います。また女性の側でも女性のみでグループを結成すると、農業経営の研修よりも交流だとか親睦が中心になりがちだという話も聞きますが、そこにもこのような歴史的経緯の影響があるのではないかなと考えています。

女性の研修機会が少ない理由の2つ目が、先ほども述べたように女性の家事・育児負担、介護負担が大きいことです。家事・育児・介護を担いながら家を空けて研修に出ることに女性が躊躇したり、家族が「そこまでしなくていいんじゃない」というふうに抵抗したり、女性の側に余裕がなかったり、ということがあります。 

*女性の家事・育児・介護負担の多さ、意思決定の場での女性の少なさと相互に連関・強化しあっている

このようにここまで述べてきた女性の家事・育児・介護負担の多さとか意思決定の場での女性の少なさ、女性の農業研修の少なさというのは、相互にそれぞれが関係しあって、お互いに影響を強めあってしまっているような悪循環を生んでいるのではないかと思います。

もし例えば女性の家事・育児・介護負担がもう少し少なければ、もっと農業経営の研修に行く余裕もできるでしょうし、農業委員だとか農協の役員をする時間もできるはずです。女性が農業経営者とみなされるようになれば、例えば世帯の中でも、家族経営の中でも、家事も育児も介護も農業経営もお互いが共同でやっていこうというような家族関係も作られやすくなるのではないでしょうか。また女性がもっと政治的意思決定の場にいれば、女性が参加しやすい日時に農業研修の日程を決めるであるとか、女性が研修に出やすいような家族への働きかけをするといったところに気が回ったりもするでしょうし、例えば家族内だけではなくて、地域にもっと家事・育児・介護を担うサービスを作るということも可能になってくるかと思います。実際、地域、町役場だとか農協が協力して託児所・児童館を開設しているような事例もあります。この3つの課題というのは、現在の農業農村のジェンダー平等に向けて、できれば同時に解決していくということが良い循環を生んでいく大事な一歩になるのではないかなと考えています。 

3.ジェンダー=女性の問題 ??

ここまで、国連の開発目標から日本の農村女性政策まで、主に女性の話をしてきました。ですが、ジェンダーというのは女性の問題なのかというとそうではありません。国連の開発目標では、女性が男性に比べて享受できていない権利を女性もきちんと手に入れられるようにというのが主な主張でした。たしかに女性が置かれている非対称・不平等な状況の改善はすごく重要なことです。日本のようにジェンダーギャップ指数が低い国だけではなく、ジェンダー平等の「先進国」と言われているような、例えば欧米諸国であっても、今日でも女性の排除に関する注目というのは高まっています。

例えばここに紹介している「存在しない女たち」という本はベストセラーにもなっていますが、日常生活の本当に様々な場面で、男性がデフォルトとして扱われていることによって女性が不利益を被っているということが、本当に色々な面から書かれています。例えば子供たちが学ぶ教科書で、これまでの歴史を作ってきた人であるとか、科学を進歩させてきた人は男性しか出てこない、実際は女性もいたのに、見えなくされているということであるとか、都市の中でどこに道路を引くのかだとか、感染症や災害への対応など、本当に様々な場面で女性の状況が考慮されていないんだということが指摘されています。こんなふうに女性が見えなくなっているのを見えるようにするということは、非常に重要だと私も考えていますが、その上でジェンダーの視点から問うべきことはそれだけではないということを少しここでお話をしたいと思います。

ちなみに日本の農林水産省はジェンダーという言葉を用いていません。ジェンダー平等を目指すという文言も使っていません。日本の農林水産省は基本的には「女性活躍」とか「男女共同参画」という言葉を使いながら女性の問題のみを扱っているので、ジェンダー政策とは言えないのではないかとも思っています。 

*ジェンダーの定義

ジェンダーの定義ですが、ジェンダー研究だとかジェンダーの理論というのは、今でも世界中で進み続けていますので、ここで私が1つだけの定義をすべてお話できるというわけではないのですが、基本的なものとして、ジェンダーとは性差の社会的組織化であるという定義があります。これは男性と女性の差というのが性差ですけれども、社会的・政治的に男性と女性の違いや特徴、こういうのが男性でこういうのが女性なんだということが社会的・政治的に構築され、機能してきたということがどのような意味を持っているのかというのを問うという姿勢です。

こんなふうに述べたのは、右に本(『ジェンダーと歴史学』)を紹介しているジョーン・スコットという歴史家です。歴史学者ですけれども、元々は1990年代にアメリカで出版された書籍が現在でもかなり影響力を持っていて、日本では2004年に翻訳されていますが、英語では2018年に最初の出版から30周年を記念したアニバーサリー・エディションというのが出版されるほど今でも影響力を持つものです。右下の方に、これがアニバーサリー・エディションになっています。

そんなふうに社会的に違いが構築されるというのはどういうことかと言いますと、例えば「女性は家事・育児に向いている」、家事・育児は女性の天職だみたいな言い方がありますが、ジェンダーの視点から考えるというのは、女性が家事・育児に向いているのではなくて、女性が家事・育児に向いているという主張が「そうだよね」「当たり前だよね」というふうに認識される文化・社会では女性が家事・育児をするように政策が展開されるし、教育が行われるし、インフラも整備される。もっと言えば日常的な女の子への声掛け、女性への声掛けといった本当に日常のささいなところまでも含めて、そのように社会が組織化されていくということです。

ですが重要なのは、これが男性らしいことなんだとか、これが女性に向いていることなんだといったようなものは、昔からずっと決まっているというものではなくて、文化や社会によって同じ時代でも異なりますし、同じ文化同じ社会でも時代によって異なる、変化するもの、これから変化させていくこともできるものだということです。なので、今当たり前のように思われていることでも、これから変化していくことが可能である。変更させることができるということです。

もう1つ、ジェンダーという視角の重要な点は、「女性」と「男性」という2つだけのカテゴリーがあらかじめ固定されているわけではないということです。これはLGBTQと呼ばれるような性的マイノリティーの人がいて、女性と男性という2つだけではないよという意味ももちろん含みますが、例えば「女性」という1つのカテゴリーの中にも人種やエスニシティ、宗教によって、また同性愛か異性愛か、障害があるかないか、経済状況など様々な違いがあります。ただ違うだけでなくて、それによる差別もあるわけです。そのため、ひと塊に「女性の問題」を扱いますと言ってしまうと、実はその「女性」の中のごく一部分しか見えていないことになりますし、不利益を被っている「男性」も見えなくなってしまうわけです。

また国連の開発目標だとか政府の政策などに対して、これまでのジェンダー研究だとかフェミニストが長年批判してきたことですが、しばしばそのようなプログラムや政策では、「女性」は支援を受ける助けられる存在で、「男性」は支援する助ける存在という、強い男性と守られるべき女性という従来のイメージをもとに政策や制度が作られていることも多いです。

そんなふうに保守的なイメージや権力関係を再生産するような政策が作られやすいということです。したがって私はジェンダーという視角の重要なことは、例え「女性のため」の政策やプログラムと言われていても、それが既存の不平等な構造の温存に留まっていないか、また保守的な先入観に基づいたものではないかというのも点検するためのツールとして用いることが重要なのではないかと思っています。 

*ジェンダー視点からみた農村女性政策

先ほど農水省の政策はジェンダーという言葉を使っていないというふうに言いましたけれども、今定義したようなジェンダーの視点から日本の農村女性政策を再び見てみます。そうすると幾つか気になる点があります。

まず1つ目が、「女性らしさ」の過度な強調ということです。農林水産省の白書では、女性が農業経営に参画するというのは、「女性の感性を活かした」経営の展開を通じて農業経営の発展、農業・農村の活性化に繫げるということが期待されています。女性が農業経営に参加するほど収益が増大するというようなことも言われています。また、農村女性が起業するというのが90年代から増えていますけれども、農村女性の起業は内容で見ると、示しているグラフにありますように食品加工と流通販売というのが多くを占めています。これは地元の自分たちで作った農産物を使って地元の特産品を作って、食品を加工して作って、農産物直売所で売るだとか、農産物直売所を作って運営するの自体も農家女性のグループでやっているというようなことがあるからです。また体験農園とか農家民宿などの部門も農村女性の起業で多く見られます。

このような女性の起業に対して、農水省の白書では、「女性の目線による細やかな気配りや対応、女性ならではのアイデア」が強みになっているというふうに評価しています。ですが、男性が何か起業したり農業経営で成功したときに、あの人は「男性らしさ」を活かしているねというふうには言われないと思います。なぜ女性の場合はこんなに「女性らしさ」が強調されるのでしょうか。私が考えているのはまず1点目として、その背後に農業経営を主導するのは男性で、女性はそこに「女性らしい感性」を付け加える程度のものなんだという想定があるのではないかと考えています。先ほど女性農業者は農業研修の機会が少なく、農業経営者とみなされづらいということに触れましたが、農林水産省は一方では、だから女性の農業研修の機会を増やさなくては、と言っている片方で、女性の経営参画に関して、女性がこれまで蓄積してきた専門技術だとか知識があったから経営が成功したとは言わずに、女性らしさが成功の要因だと言ってしまうというところで、農業経営者とみなさない姿勢というのを図らずも出してしまっているのではないかと思います。

また起業に関しても、女性が食品加工、販売以外の部門で成功しにくかったからこそ、今そのような部門で成功しているんだということを無視しているのではないかと思います。多くの場合、起業した女性たちが90年代から2000年頃まで、グループ起業が多かったのですが、本当に何の制約もない状態で自由に好きなことを選んだ結果、今のような起業になったということはありません。先ほどの繰り返しにもなりますが、農業経営に関しての技術研修は男性対象に行われてきましたし、地域の資源管理、例えば水田の管理だとか土地の所有者であるとか水路の管理、また政治というのは、男性中心で行われてきましたので、そうではないところで起業するしかなかったという経緯があります。

最近の起業は個人での起業も増えていますが、2000年代最初の方までとても多かった起業は、グループを母体にしたものですけれども、その農村女性起業の母体になったグループというのが、1950年代から当時の農林省が主導して組織化してきた生活改善実行グループや農協婦人部でした。だからこそ、農林水産省は白書で「生活改善から活躍へ」というふうに自分たちの政策をまとめているわけですが、この生活改善のプロジェクトというのは、占領期にアメリカのシステムを日本に輸入して作ったようなものになりますが、当時のアメリカと日本の性別役割分業規範にしたがって、男性は農業、女性は生活分野を担当するというふうに分けられたものでした。

この写真に載せているのは、グループでトマトケチャップを作っているところです。自分たちの作ったトマトをケチャップに加工しておくことで、この当時、トマトは夏にはたくさん食べるけれども、冬には野菜はあまり食べられないということが問題になっていましたので、まずはこういうふうに加工食品にして、自分たちの食を豊かにするということ。そこから発展して農産物直売所で売って、女性たちの自由になるお金がないということも当時すごく問題視されていることでしたので、少しでも自分たちの自由になるお金を作り出すというような取り組みがされていました。

このようなグループの活動というのは、「女性の領域である台所」を足がかりにする戦略が取られていたために、当時の時代状況を考えますと、グループの活動を支援していた行政職員である生活改良普及員やこのグループを構成していたのが、“嫁”と呼ばれる世代の人たちがほとんどだったことから、台所で何かするくらいしか声を挙げられるところがなかったという状況や、その分野に限られたとしても、声を挙げられるようになったという功績はもちろん、軽視できませんけれども、女性を台所に縛り付けるというか、女性は何か食品加工をしているものだとか、そういうような分業を強化するような結果ともなりました。現在の日本の農村女性政策は、この当時の男性は農業、女性は生活という分業を批判的に振り返ることなく、現在でもそれを女性らしさを活かしているというふうに賞賛してしまうところに問題があるのではないかと考えています。 

*まとめ

以上で、まとめに入りたいと思います。最初に確認したのは、日本の農業農村での女性の家事・育児・介護負担、政治的経済的意思決定過程での不在、農業経営者とみなされないなど、根強い男女格差があるということでした。次に農林水産省の女性農業者に向けた働きかけは、今言ったような不平等を内面化した上で、女性に向けてのみ働きかけているために、女性の参加を阻む要因の理解と働きかけが不十分なので、このような格差の是正が進んでいないのではないかと思います。 

4.これからの農業・農村に向けて

で、これからの農業農村に向けては、「女性」だけでなく全ての人が生きやすい社会を目指すということが重要であると考えています。これは先ほども言ったように、男性女性だけではなく、性的マイノリティーも含めてということでもありますし、男性女性の中の差異に敏感であるということでもあります。

今日はあまり触れることができませんでしたが、特に農村、地域社会で生きていく上では、男か女かといった性別以外にもたくさんの違いがあり、その違いが重要な意味を生活の中で持っていることかと思います。例えば本家か分家かだとか、新規就農者かずっと村にいた人なのか、若者と年寄り、外国人、技能実習生、結婚しているかどうか、子供がいるかどうか、家を継ぐべき長男と言われているのかそうではないのか、といったことが、政治経済的な力関係に影響を及ぼしていることと思います。なので従来の「〇〇らしさ」、女性らしさだとかのイメージを再強化する「女性活躍」の方法ではなくて、今言ったような力関係の中で排除されがちな人々、女性に限らず具体的な障壁を減らすことをもっと働きかけていく必要があるのではないかなと考えています。以上で私からの報告は終わりたいと思います。